庶民宰相の列島改造
角福戦争
連続最長の首相在任を記録した佐藤の引退表明後、その後継をめぐって田中角栄と福田赳夫の間で激しい争いが繰り広げられた。どちらも佐藤政権の支柱であった。自民党内の総裁選の結果、田中が総裁に選ばれ、1972年7月7日に戦後としては最年少の55歳で内閣総理大臣に就任した。
田中には学歴がなかったため、「庶民宰相」や「今太閤」などの呼び名で親しまれた。また、総裁選の直後に出版した著書『日本列島改造論』は、日本国中に高速道路・鉄道網の交通インフラを整備することで地方の振興を図ると謳ったもので、過疎に悩む地方から大きな期待を呼びベストセラーとなった。
日中国交正常化
田中は首相就任直後にその手腕を発揮した。就任からわずか二ヶ月半で日中国交正常化を実現したのである。このとき戦後27年が経過していた。
この結果、国交を結んでいた台湾(中華民国)とは正式な外交関係がなくなったが、実際的な関係は引き続き継続されている。
インフレと石油ショック
佐藤内閣末期以来問題となっていた金融危機のための規制緩和と、ニクソン・ショック時のドル流入でたぶついた資金、さらに田中の列島改造に触発されて過熱した土地投機などによって、72年から74年にかけて物価の上昇が激しかった。このインフレ傾向に拍車をかけたのが、73年10月に始まった第四次中東戦争による石油ショックであった。
結果として、73年2月には円相場は変動相場制に移行して、切り上げられることになった。
物価の上昇は国民の生活を直撃した。内閣成立直後には大きな期待で迎えられていたが、首相就任後わずか1年余りで国民の心は離れてしまっていた。
人気低落の中で迎えることになった74年7月の参議院選挙で巻き返しを図るため、自民党は大量の資金を動員した金権選挙に走った。選挙での強さに定評のある田中が総力をかけて選挙戦を展開したものの、自民党は議席を減らし僅かに過半数を確保する結果に終わった。
その後、田中の金権体質に対する批判が高まるとともに、自民党内での離反の動きも見られるようになり、この年に田中は辞意を表明した。
首相の汚職
田中が首相を辞任した後の76年、アメリカのロッキード社による日本への旅客機売り込みのための工作資金が日本政府高官に渡ったことが明るみに出された。捜査の結果、田中角栄がロッキード社から大型ジェット旅客機を全日空に売り込んだ成功報酬を受け取った容疑で逮捕された。その他にも政治家や高官、大企業役員が逮捕されたほか、金を受け取っていた者が明らかとなった。
一連の騒動で自民党への反感が高まり、76年12月に行われた衆議院総選挙では自民党は大敗を喫した。既に前回の参院選の苦戦で見られていた、与野党が伯仲する傾向がいっそうはっきりした。
次は「自民党の派閥争い」(執筆中)
日本政治史 目次
- 敗戦とGHQによる占領
- 朝鮮戦争とサンフランシスコ講和条約
- 55年体制の確立
- 高度経済成長と沖縄返還
- 庶民宰相の列島改造
- 自民党の派閥争い(執筆中)
- バブル経済から平成不況へ(執筆中)
- 阪神大震災と地下鉄サリン事件(執筆中)
- 構造改革、そして9・11(執筆中)
- 小泉後の自民政権、政権交代へ(執筆中)
1945年 | 終戦 |
1947年 | 新憲法施行 |
1950年 | 朝鮮戦争 |
1951年 | 講和条約締結 |
1955年 | 55年体制成立 |
1956年 |
日ソ国交回復 国際連合加盟 |
1960年 | 安保条約改定 |
1963年 | ケネディ暗殺 |
1964年 |
東京オリンピック 新幹線開通 |
1969年 | アポロ月着陸 |
1970年 | 大阪万博開催 よど号事件 |
1971年 | ニクソン・ショック |
1972年 | 浅間山荘事件 沖縄本土復帰 日中国交回復 |
1973年 | 石油ショック |
1976年 | ロッキード事件 |
1978年 | 第2次石油ショック |
1985年 | プラザ合意 |
1988年 | リクルート事件 |
1989年 | 平成改元 消費税導入 ソ連解体 |
1990年 | 湾岸戦争 バブル崩壊 |
1992年 | 佐川急便事件 |
1993年 | 細川内閣成立 |
1995年 | 阪神大震災 地下鉄サリン事件 |
1997年 | 山一證券破綻 |
2001年 | 米同時多発テロ |
2003年 | イラク戦争 |
2008年 | リーマン・ショック |
2009年 | 政権交代 |